製品に対しての技術的な講習会などは、これまでも行われてきましたが、トヨタ自動車にある「モノづくりは人づくり」という視点が必要に思います。「誰かの為に」という想いを持ってモノづくりをすることであったり、基本的な価値観を共有します。
個人のそれぞれの理念は違っても、会社など同じ組織で成果を高めるには、一般に経営理念があり、同じ方向性で仕事をすることで成果を高めていかれると思います。産地を1つの会社と仮定して成果を高めていくためにも、同じ理念(基本的な価値観や信条)を持つほうが良いと考えます。
私たちは、このような良い考え方、価値観を共有して産地全体が良い方向に向かうようにしましょう。
「厳しい」と言われる熊本産地の状況を良くする基本は、良い考え方、価値観を持つことから始まると思います。
身近なスポーツチーム、職場、例えば自動車会社や家電の会社などで、仮に「誰が悪い、彼が悪い」と言っていたら、やがて姿を消してしまいます。そう思うのではなく、
・課題は自分たちで解決していこう
・自分たちが作り出すい草・畳表の価値を世の中の役に立つよう提案していこう
・違う意見も謙虚に聞き、理解するよう努めよう
という姿勢が大切です。また、
・「誰かの為に」という想いを持ってものづくり
「これらの価値観(判断基準)をもって畳表を生産しています」ということを表すものが、今回の「理念」に「◎」が表示されるという仕組みです。
現在、畳業界では、繁盛している店と、そうでない店と、大きく分かれているように思います。営業で畳店を定期的に訪問すると、繁盛している店に共通するものがあると感じます。それは、元をたどれば「考え方」にたどり着きます。
畳店・卸売業・農業経営も、ヒト・モノ・カネの組み合わせで、製造業はモノの変換、卸売業はロットの変換で、扱うものが違うだけで、基本は同じです。またいずれも、自分たちが作り出す価値を人や社会に役立つよう事業を行っている事は共通しています。
そこで、このような社会に役立つよう事業を行い、世の中が認めるほどの成果があった人たちの「考え方」を参考までに紹介したいと思います。
「中国の歴史書「春秋」を解釈した「春秋左氏伝」にこうある。
「徳は結果的に富をもたらす源である。」
徳が多ければ富はおのずとやってくる。徳が少なくなれば、それに応じて富も減る。・・(略)・・
度量の小さい人は自分だけが得をしようとし、度量の大きい人はみんなが得するように計らう。前者はその利己心によって滅び、後者は公の精神によって栄える。自分の人生をどう生きるかで、盛衰、貧富、興廃、生死が分かれる。だから、常に心すべきではないだろうか。
(内村鑑三・著「代表的日本人」より)
(コメント:マザーテレサの「思考に気をつけなさい」と同じ)
・・(略)・・
徳に励む者には、財は求めなくても生じる。したがって、世の人が損と呼ぶものは損ではなく、得と呼ぶものは得ではない。・・(略)・・
これはみな、賢者が、徳と財との正しい関係を知り、結果でなく原因を求めるからである。
(上杉鷹山の「木のことを熱心に考えて・・」、二宮尊徳の、「なすべきことは、その結果に関係なく、なさねばなりません」と同じ)
「東洋思想の美点のひとつに、経済を道徳と必ず関連づけて論じたことがあげられます。東洋の思想家にとって、富とは常に、徳の結果もたらされるものであり、その関係は、実と木の関係と同じなのです」
・・(略)・・
「したがって、徳の高い人は、木のことを熱心に考えて実を得る。小人は、実のことばかり考えて実を得ることができない」
鷹山が行った様々な産業改革の中でも、特に素晴らしい点はここにあります。まず目指したのは、人々に徳を身につけさせることでした。
(「代表的日本人:社会及び道徳の改革」より)
(弊社コメント)現在の熊本産地にとって高額な機械の購入などの補助金は基本的に必要と考えています。
以下の二宮尊徳の言葉がありますが、ここのポイントは、補助金によって「誰かが守ってくれる」という意識になってはいけないという事だと思います。
仮に補助金があっても「課題は自分たちで解決する」という姿勢があれば良い、という事だと考えています。
(二宮尊徳から小田原藩主への報告書より)
補助金の支給や年貢の免除は、苦しんでいる人々を救うのに何の役にも立ちません。
それどころか、救済する鍵のひとつは、金銭支援を一切やめることにあります。
このような支援は、強欲や怠惰を引き起こすばかりで、村人のあいだに不和をもたらす種です。
荒れ地は荒れ地そのものの地力で開くもの、貧困はそれ自体がそこから抜け出せるようにできているものです。
・・(略)・・
仁愛、勤勉、自助、このような徳を徹底して行うところに、この三つの村の希望があります。
(以上報告書より)
道徳的な力を経済改革の重要な要素とすることで村を復興する案など、かつてはほとんどありませんでした。経済に「信念」を適用したのです。
また、二宮尊徳は以下の言葉で改革を進めました。
(内村鑑三)かつての日本人のこうした福音(ふくいん)と比べると、近年、日本で氾濫している西洋の英知とはいったい何なのでしょうか。(以上、「1908年 代表的日本人」より)
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
「新しき計画の成就は、ただ不屈不撓(ふとう)の一心にあり。さらばひたむきにただ想え。気高く強く一筋に」中村天風(1876年7月30日 - 1968年12月1日)
影響を受けた人々は、東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、広岡達朗などで、実業界では松下幸之助、稲盛和夫などである。近くは、松岡修造や大谷翔平などがいる
天風氏は特に言葉の使い方を力説し、ネガティブな言葉(「困った」「弱った」「情けない」「悲しい」「腹が立つ」)といった言葉を厳しく戒めます。
新しい計画を立てて成功させたい、自分が思っている「思い」を実現したいと思うのならば、不屈不撓(ふとう)の一心、つまり「どんな事があっても決して諦めない心」で必死の努力をしなければなりません。他の事は何も考えないで、自分はこうしたいという一点に「思い」を定めて、ひたむきに思いを続けなさい。それも気高く強い心、純粋で美しい心で、一直線に思いを続けなさい。そうすれば成功しないものはない。(解説:稲盛和夫)
「25歳未満でメジャー挑戦をすれば良い契約はできないが、金より夢が大切なんだ」「契約金も安ければ、年俸もかなり安くなる。そういうことを事前に把握しての勇気あるメジャー挑戦だと思う。」などと評された。
鈴木 秀子(昭和7年)
東京大学人文科学研究科博士課程修了。文学博士。シスター。フランス、イタリアに留学。ハワイ大学、スタンフォード大学で教鞭をとる。聖心女子大学教授(日本近代文学)を経て、国際コミュニオン学会名誉会長。聖心女子大学キリスト教文化研究所研究員・聖心会会員
(以下は致知2018年1月号より抜粋)
「ある精神科のお医者さんが話していましたけれども、がん病棟に入院し精神的に参ってしまって自分のところに回されてくる人たちがどういう人かを見ていると、見える世界、 つまり会社を良くする、自分の家族のためによい家を建てる、いい縁談で娘を嫁がせる、そういう「横」の世界にエネルギーを使い果たしてしまっている人だと。
そうして大成功したと思った時にがんになって、今まで全勢力を注ぎ続けていたものがー切意味をなさなくなっていたことに気づかされるというんです。
人間は、そのような「横」の世界のエネルギーと、目に見えない「縦」の世界のエネルギーのバランスで生きているといいます。
現世的なことで大成功をすることにだけエネルギーを注いできた人は、 人間の絆の大切さ、温かい心、あるいは自然との繫がりといった「縦」の世界になかなか目を向けることはできない。病を得て初めて見えないもののありがたさを感ずるんですね。
私たちは若い時はどうしても「横」の世界に力を入れなきゃなりませんけども、同時に見えない「縦」の世界もあるということ、人間は「横」と「縦」の二つの軸で生きているんだということを知る必要があります。
平成5年将棋名人位を獲得した米長邦雄氏と華々しく評論活動する渡部昇一氏が語る「幸運の女神に好かれる」術
米長氏は 、運をよくするには心がけが大事だといい 、幸運の女神は謙虚さと笑いが好きで、そういう人にほほえむのだと言われた。
そして、「人をうらむ。にくむ。ねたむ。そねむ。ひがむ。やっかむ。そういう気持ちを持っている人に運はついてこない」と断言された。
これでよいでしょうか?よろしければアンケートに記入をお願いします。
自らの本質(安心・安全・高品質)をつかんで研ぎ澄まし、きちんと伝える。これを熊本産地で実現する組織をつくり、「熊本産地に元気を取り戻す」これがこの会の役割です。